【雑記】いつサポーターになったのか問題

 

 

おばんでやす。

 

3月中旬まで試合が延期になってしまい、暇を持て余す私です。

 

サッカーネタで何か書けることないかなーと考えたときに、そういえば自分はいつからサポーター始めたんだろう…と、ふと思いまして。

 

 

ウィキ先生の我が軍の記事を見つつ、

記憶が無い/有る の境目あたりからさかのぼってみることにしました。

 

 

 

 

比較的長くなったので先に簡単な総括を。

 

「結局よくわかんなかったけど楽しかった」

 

 

 

 

それではスタート~

 

 

■2005年(J2/大木体制2期目)

サッカーそのものに興味がなかった。前年の甲子園、東海大甲府が躍進したおかげで野球はなんとなく見てた。

柏との入れ替え戦はおそらく後付けの記憶。

今となっては現地にいられなかったことが悔しい…

 

 

■2006年(J1/大木体制3期目)

この年もまだ興味が無かった。まったく無かった。

90分で2~3点しか入らないようなスポーツ見るの無理~とか思ってた。

この年のホーム鹿島戦、叔父からメイン指定の招待チケットをもらったにもかかわらず、父に小瀬まで連れていかれたにもかかわらず、

「つまんないから車で寝てる」と言い放った。

ほんとに車で寝てた。信じられない。(試合は2-1で勝った)

 

 

■2007年(J1/大木体制4期目)

バレーの移籍で弟がぶつぶつ言ってたのはなんとなく覚えてる。

弟も父親も甲府を応援していたので、情報に触れる環境はできていた。と思う。

 

 

■2008年(J2/安間体制1期目)

安間さんが監督になったのは覚えてる。

部活が一緒だった友達が久野の追っかけをしてたから、試合も見てなかったのにチャントが頭に残ってる。

サ~レ~ス

 

 

■2009年(J2/安間体制2期目)

美尾ちゃん荻くん金信泳

このころには実家でスカパーの契約を結んでいたものと思われる。

見ようと思って見ていたのではなく、居間で家族が見てたから…とかそういうので覚えた。

 

 

■2010年(J2/内田体制1期目)

ここから主体的に情報を追い始めた。マイク得点王の年。そりゃ覚えてる。

大学進学で山梨を離れたこと、そして大学の同期にモンテサポがいたことで、「地元」を強く意識して、それが応援のきっかけになったような気がする。

あとは埼スタでバイトも始めた。たしかレッズ-グランパスの試合でバイトデビューした。

コンコースから初めてスタンドに入った時の興奮は今でも忘れない。早く専スタが欲しい…

 

 

■2011年(J1/申し訳ないが記憶から名前を消した← 途中から暫定佐久間体制)

最終節大宮に行った。降格も見届けた。

記憶がある最古のアウェイ。なお初めてのホーム(2006駐車場事件は除く)はまったくもって覚えてない。

学生でスカパーに入ってなかったので試合を見るすべがなかったけど、結果はちゃんと追ってた。マイクの代表選出に湧いた。

 

 

■2012年(J2/城福体制1期目)

優勝した。泣いた。

レベスタで福ちゃんが上げたクロス(からの永里ゴール)は今でもよく覚えてる。大好き。

今も続くアシスト萌えの原点はここだと思う。

 

 

■2013年(J1/城福体制2期目)

8連敗は苦しかった… いつ勝てるんや…と思いながら応援してた。

就活中、面接が終わってスーツのまま日産に試合を見に行ったこともあった。

試合終了直前に青ちゃんゴールで追いついた際、感情が高ぶりすぎてマリサポ彼氏に「ざまあww」って言ってしまった。ちょっと反省している。

 

 

■2014年(J1/城福体制3期目)

柏を取られた。

何度かついったーにも書いてるけど、初めて行ったアウェイ万博で、キーパー東口との1対1を外したクリスに向かって「へたくそー!」と叫んだのがこの年。全力で反省している。ヤジは絶対だめ。

翌年も城福さんが指揮するものだとばかり思っていたから、退任報道が出たときは本当にびっくりした。

セレモニーで大泣きした。

 

 

■2015年(J1/樋口体制1期目 →佐久間体制)

佐々木もいなくなってしまった。

悲しみに打ちひしがれるなか現れた新星・純也に命を救われた。めっちゃ速かった。

純也は今でも俺たちの純也。すっかりヘンクの主力だけど、本音を言えばもっと高みを目指してほしい。あわよくば連帯貢献金が欲しい。

くれぐれも怪我に気を付けて。あともっと毛根大事にして。

 

 

■2016年(J1/佐久間体制2期目?)

純也を柏に取られた。毎年こんなんばっかりや。慣れろ。

チュカは試合外の記憶しか残ってない。

かろうじて残留したけど、なかなかに苦しいシーズンだったように思う。

最終節の失点シーンは今でも覚えてる…一瞬何が起きたのかわからなかった。

他会場に救われた日だった。

 

 

■2017年(J1/吉田体制1期目)

稲垣がいなくなった。某チームに恨みが募った(仕方ないんだけどね)

J. League Data Siteで結果だけ振り返ったら全然勝ててなくてよく心が折れなかったな、と思う。(麻痺してただけかもしれない)

勝ったのに、16年とはまた違う感情に溢れた最終節だった。

ここまで夢中になれるものがあるのは幸せなことだ… もっと強くなりたい。

 

 

■2018年(J2/吉田体制2期目→上野体制1期目)

新里がいなくなっ(

いい加減慣れろ。と思うもののこれは仕方ない…人間なのだ…

一方でとにかく95年組が愛しい1年だった。みんなうちの子。いつでも戻っておいで。

各嫁はいい頃合いを見計らって「そろそろ山梨戻りたいんだけど」って言いだしてほしい。頼む。

達磨さんも上野さんも好きだった。チーム作りの難しさを感じた。

 

 

■2019年(J2/伊藤体制1期目)

迷ったらやれ、な年だった。(自分が)

薄々わかってたけど遠征の楽しさを知ってしまった。全部Twitter(主に甲府勢)のせいだ。

前もって計画していた京都遠征はともかくとして、「今週末徳島行くか」だの「明日岐阜行くか」だの、かなり頭がアレな感じする。

12月まで試合を楽しませてくれた選手たちには感謝しかない。

 

 

■2020年(J2/伊藤体制2期目)

悲喜こもごものオフを過ごしようやく今シーズン開幕…したところでこの状況なわけですが。

ベテランはもちろん、若者たちの飛躍の1年になって欲しい。週末に試合がある日常が早く戻ってきますように。

 

 

 

 

結論 初めてのホームもアウェイもたぶん2010年前後。サポーターもたぶんそのくらいから。

 

手洗いしよう。